2ntブログ

私の本棚

放っておいて下さい すみません。


 あんなにドキドキした、私と同い年ぐらいの女の子たちが繰り広げるボルテージ高まるばかりの恋やら愛やらほにゃららを描いたマンガはなんだか遠くなってしまった。
 あんなに愉快だった、豊富な性的知識でお姉ちゃんをバカにしながら陰日向に知識を授けるステキな弟の出てくるようなマンガもなんだか悲しくなってしまった。
 あんなに痛快だった、女の子が外見とは裏腹に心の中でハイテンションに止めどなく豊かに喋るようなマンガはなんだかやりきれなくなってしまった。
 だから最近、私は昆虫図鑑ばかり眺めるようになった。
 仕事が終わって家でご飯も食べて部屋に戻った一人の時間。大きな図鑑を枕に立てると、ナナホシテントウがナナホシテントウの背中に乗っかっている、ツルツルした大きな写真が飛び込んでくる。実際より何倍も大きく引き伸ばされた交尾の写真、セックスの写真。ずいぶんあすことあすこが離れているようだけど、こんなことでセックスだなんて不思議なものと、しみじみ丸い背中をなぞった。
 突然だけれど年の離れた弟のヨウくんは中学も二年生になって人並みに色々な興味もあるようで、だからといってマンガみたいにはしてくれないけど、かわいいかわいい弟だ。幸せになるんだよ。って心の底からそう思っている。
 お母さんは私のあこがれ。焼き肉屋さんに行くと中盤、お父さんの命令で冷麺を食べるように言われて注文、運ばれてきた冷麺をすすって「おいしい」と微笑んでいるような、優しいお母さん。
 そんな時ヨウくんはアイス以外の冷たいものにはあんまり興味がないから、お父さんの焼き肉の知っ得話にふんふんうなずきながらお肉をほおばり、お父さんの代わりにお肉をひっくり返す役に預かると、知って知らずか、お父さんと同じようにトングを上に向けて時折カチカチ鳴らしているのだった。
 しばらく黙々食べていたお母さんは小さな声で「ごちそうさま」と言い、冷麺を少し父の方に寄せて口元を拭いていた。そして食事が終わる頃には、いつの間にか冷麺は空になっている。私は小さい頃、そういうのが夫婦で家族なんだと思ったりした。それは今も変わってないけど。
 でも、だんだんあることないこと知識も増えて、お父さんとお母さんがセックスをしたことを知ったのは中学生の頃だったか。ふいに顔を出した現実はあんまり面白みのない錯覚のアートのように佇んでいて、私は態度を決めかねた。セックスで生まれた自分がセックスを疑うなんて古いし悪い冗談だけれど、その私を身ごもるためのセックスをした父母の年齢にさしかかり、私も処女だし笑っていられなくなった。
 悪い冗談は悪い。マンガからそればっかりを学んできた私は心の中で立ち尽くすばかり。それもこれも、そういうものを近づけたり遠ざけたりして茶化す振りをして、安心したり逆に深刻になったりするような態度のマンガばっかり読んできて、とか言ってたまにどストレートなもの読んじゃったりしてびっくらこいたりして、自分なりに処女道楽(そんなものがあるなら)を楽しんできたからかも知れない。そんなふうに大袈裟に反省したんだった。
 んで、反省した途端に、今度ばかりは私の心の思い通りにならないところも本気なようで、本棚にあるそういうものはなんだかだんだん、あらかた読めなくなってしまった。
 その代わり昆虫の交尾とか、なんだかとても愛おしくなった。鳥でもなく、魚でもなく(鮭のはヒく)。
「後背位だもんなぁ」
 蛍光灯がそっくり映るほど大きい図鑑を傾けてナナホシテントウたちにぼんやりしたドーナツ型の光をあてて、そっとつぶやく。もちろん家族にも、ナナホシテントウにも聞こえない。結局、私がマンガで学んだ知識はこんなところで日常的に消費されるのみ。ひとりぼっちのベッドは私の生活のにおいがして、その通りにへこんでいる。
「本棚空けたいんだけど、マンガどうしようかな」
 ある日、猛烈にかいつまんだ経緯と行き場を失ったマンガのことをヨウくんに話すと、ヨウくんはもう声変わりしてしまった声で「じゃあ、ちょうだい」と私に言った。
 ヨウくんは私の影響で少女マンガもよく読んだ。教育したつもりなんてないけれど、本棚というやつはつながった血をさらに騒がせるものがある。私も少年漫画を、薦められないまま沢山読まされた。
 姉の一日の長というか、ヨウくんの本棚は私よりも手狭な割にまだ余裕があった。読めなくなったマンガをあげるとなると、なんだかヨウくんが私の轍を踏むようで申し訳ない気がしたけれど、男の子はきっとその生かし方を知っているのだろうと考えることにした。もっと単純明快でいい方法があるに違いない。
 私は自分のベッドに座って、奥行きのある本棚の前で膝を大きく開いてしゃがみこんだヨウくんの後ろ姿を見ていた。そんなふうに棚のマンガを見るんだね。その体勢は見慣れたものと言え、こんなにじっくり見るのは初めてだったから何だかおかしくて愛おしかった。その背中に、銀行やコンビニに置いてある防犯用のカラーボールを何色も当てて乱暴に色づけたいくらいに。
 ヨウくんが中腰になる。意外と男らしいその後ろ姿と、私のいつもの四つん這いの後ろ姿(想像)が、頭の中でパタパタ音を立てて切り替わるまま、私はぼんやり考えていた。そうかもう中学生二年だし、一応テニス部で毎日がんばってるもんね。少しずり下がったジャージからは、派手目のパンツのゴムがのぞいている。こういうのは高校のときによく見た。
「ヨウくん」
「え~?」
 ヨウくんは上の空で答えた。
「お父さんととお母さん、バックで私をつくったのかな」
 言ってしまってからドキリと安全ピンが頭を刺した。
 ヨウくんも一瞬動きを止めたきり沈黙した。私の言い方が冗談でなかったから。弟だからそれがわかったのだ。
 あー。どこかに向かって呻いて、その割にはそのまま暢気に座っていられるのが不思議だった。マンガの女の子のような才能はないから、取り繕うような怒濤の独白なんて始まらないし、ただゆっくりドキドキだけして、ヨウくんが何を言うのか待っていた。お姉ちゃんらしく。
 無理に手を動かそうとして、マンガがドサドサ落ちる(『ハートを打ちのめせ!』だ)。
「大事にしなさいよね」
 そんなことも言ってみたけど、私の弟は逃げなかった(そういうヤツってモテると思う)。ヨウくんは少し経ってから振り向くことなく言った。
「わかんないけど」
「うん」
 平静を装うから、相づちの声が大きくなる。
「バックかどうかはわかんないけど、俺と姉ちゃん、同じ体位でできたと思うよ」
 同じ体位。
 風を受けた私の顔がアップになるような気がした。正直なんでかわからないけれど、私は嬉しくなり、弟にキスの一つか頭をはたくかしてやりたかった。そういうのってマンガみたいだ。
「はは」
 私が軽く笑っただけでそのことは済んだ。
 こうして私の本棚はとてもスッキリして少しさびしくなり、弟の本棚はちょっとわけがわからなくなって楽しくなり、私の色が付いた。その本棚を見て私は思う。若いっていいね。

高校のすり傷

 高校1年生。僕はいつものように5時起き、学校の大時計の6時の針が震えて止まるその寸前、道場で一発目の受け身をとっていた。言っとくけど歯磨きはしていない。
「やーーーー!」
 バシーン、畳をたたく音が広い道場に響き渡る。その余韻に侘びしさと空しさが忍び込んでくる。だから僕はすぐさま次の受け身を取って、バシンバシンと全てを遠ざける。みんなが登校してくる8時10分までそうしている。帰りも守衛さんが来るまでそうしている。

 柔道部は1年生の僕のほかに7人いる。6人は幽霊部員。顧問の中村先生は僕の担任でもあるけど、「野球部の顧問がやりたかった」と言ってやる気がない。そもそも春、クラス初めの自己紹介で、一番最初の順番だった僕、青本一本(あおもといっぽん)が、彼のドラえもんが並んだネクタイについて聞かれて黙って微妙な顔をしたせいで嫌われているのだ。
 満足に練習もできない。大会にも出られない。外の道場に通うお金もない。でも僕は柔道が大好きだった。授業中も柔道に関する書物を読んでいたし、自主稽古を一日も欠かさなかったし、『YAWARA!』でシコることもあったし、道着は毎日帰って手洗いして夜通し振って乾かした。
 休み時間、僕はクラスのみんなを見回して、直感で一人に目をつけた。
「そのまんまデカチンポ君、ちょっといいかな」
「え? どうしたの青本くん」
 出席番号13番そのまんまデカチンポ君はかなりびっくりした顔というかチンポで振り返った。振り返ったせいで、開襟シャツの隙間から裏筋がチラリと見えた。
「そのまんまデカチンポ君、僕が持ってきた『YAWARA!』読んでたよね」
「え、うん、デカチンポ、確かにヤワラ読んだけど……それがどうしたの? ごめん、勝手に読んじゃまずかった?」
 そのまんまデカチンポ君は、男子には珍しく自分のことを名前で呼ぶ。
「いやいいんだ。おもしろかった?」
「うん、おもしろかったし感動したよ。デカチンポにはさすがに柔道は出来ないけど、ああやってかわいい女の子が一つのことに打ち込む姿っていいよね。とか言って恋愛もするしね。どちらにしろすごくいいよ。あの作者は天才だと思うな」
「あれ描いたの、浦沢直樹って言うんだ」
「へぇ、そうなんだ。いいこと聞いちゃったな」
「それでお願いがあるんだけど」
「うん、何」
「僕の柔道の練習相手になって欲しいんだ。今度はそのまんまデカチンポ君が僕の柔道を応援して欲しいんだよ」
 そのまんまデカチンポ君はちょっと雲行き怪しく黙ってから言った。
「それって、何をするのさ」
「朝に、僕と組み手をしてくれればいいんだ。本当に投げたりしなくても、柔道着を着てる人が立ってくれてるだけで凄く助かるんだ。でも、うちの柔道部は僕だけだから、僕は受け身の練習しかできないんだ」
 そのまんまデカチンポ君は動かず、黙していた。
 僕は彼の亀頭を見下ろす形で答えを待った。亀頭ってよく見るとカサカサだな…と思いながら、そのカリ首が縦に動くか、横に振れるかを待った。
 本当は僕は、そのまんまデカチンポ君は僕が女の子じゃないから断るに違いないと思っていた。でも、答えは予想外のものだった。
「いいよ」
 意外とカリ首は動かなかったけど、少しだけ膨らんで、そのまんまデカチンポ君は確かにそう言った。
「なんだかヤワラみたいで凄くいいね。僕、こんなナリしてるだろ。だから運動なんてろくにできないし、恥ずかしいしさ。でも実は、体っていうかチンポ? 動かしたいと思ってたんだ」
「そのまんまデカチンポ君、ありがとう」

 次の日、朝6時、僕とそのまんまデカチンポ君は道場にいた。
 真新しい柔道着をまとったそのまんまデカチンポ君と、汗がしみて黄色くなった柔道着の僕。二人で向き合うと、道場の空間が引き締まるのを感じていた。
「こうやって、襟を取って組むんだ」
「なんだかドキドキするね」
「そのまんまデカチンポ君、実はね」
「うん」
「あの『20世紀少年』の作者も、浦沢直樹なんだよ!」
 僕はそう教えてあげながら、そのまんまデカチンポ襟(そのまんまデカチンポ君の襟)をぐいと引き寄せて、背を丸め、そこに背負い上げた。
「ええっ!?」
 すると、柔道着を身につけたでかいチンポがやや前方に270°回転し、畳にたたきつけられた。ドダンと柔らかめのものが落ちる音がした。
 重さを感じないまま、僕の背中をでかいチンポが通り過ぎていったその感覚と音は、僕が久しく忘れていたものだった。侘びしさや空しさはそこになく、ただ柔道があった。
 そのせいで僕はしばらく恍惚として、彼を気遣うのを忘れていた。
 やっと我に返ると、そのまんまデカチンポ君は投げられた体勢のまま動かず、きれいに横たわっていた。
「ご、ごめん! そのまんまデカチンポ君!! 大丈夫!?」
「うん、亀頭すったけど……平気」
「ごめん、僕、最初なのにいきなり、夢中で……」
「いや、いいよ。僕、嬉しかったよ」
「え?」
「柔道って、気持ちがいいね。あと、浦沢直樹すごいね」
 そのまんまデカチンポ君がすぐに立ち上がって、また向き直り、なんとなく構えてくれたような気がしたので、僕はそれ以上何も言わなかった。そして、言わなくても大丈夫だった。僕はそれから、そのまんまデカチンポ君に一から柔道を教えてあげた。そして、二人そろって朝のホームルームにギリギリで駆け込んだ。
「おい、そのまんま。お前、亀頭どうした?」
 中村先生が言った。そのまんまデカチンポ君は「ちょっと、すりました」と嬉しそうに言った。
 僕も嬉しくてそっちを見ていた。すると隣の金田由紀が僕から顔を背けた。一度だけ、「口くさいんだけど」と言われたことがある。
 でも、僕はそんなことよりも柔道ができたことが本当に嬉しかった。これは本当のことだ。

 その後、朝の練習は毎日続いた。帰りも、用事がある時以外、そのまんまデカチンポ君は練習に付き合ってくれた。
 僕がそのまんまデカチンポ君を投げることはもうあまりなかった。
 そのまんまデカチンポ君はそのまんまデカチンポなので、やはり受け身をとろうにも限界があった。それに、亀頭を沢山すっていた。これ以上、亀頭をするようなことがあれば、生活に支障をきたしてしまうだろうと思われた。
 だから、練習はもっぱら打ち込みになった。1時間も2時間も襟を引いて背負いの体勢に入る動作を繰り返す僕に、そのまんまデカチンポ君は付き合ってくれた。
 僕は今まで出来なかった打ち込み練習をできるのが嬉しく、納得いくまでやろうとひたすらそうしていた。そのうちに、どんどんそのまんまデカチンポ君を忘れ、柔道に集中していった。
 ある日、朝から来て背負い投げの打ち込み練習だけをどれぐらいやっただろうか。形をつかめそうな手応えがあり、とにかくかなりやっていた。
 すると、そのまんまデカチンポ君が急にずっしりと重くなった。岩のように重く、背負い込めない。
 僕は向き直った時、思わず視線を上げた。
「ハァ、ハァ、ハァ、ハァ、ハァ、ハァ」
 気づけば僕は、巨大な影の中にすっぽりおさまっていた。そのまんまデカチンポ君にいつものかわいらしい面影はなく、赤黒く、そそり立って脈打っていた。そして柔道着から、半分以上も体というかチンポが飛び出していた。血管がはちきれそうに浮き出て、爆発しそうだ。
「デカチンポ君!」
 我に返ったように一度震えたそのまんまデカチンポ君が僕を見下ろすように窮屈そうに傾くと、トロリ透き通る液が僕の目の前に垂れた。
「亀頭パンパンだよ……?」
「え大丈夫……! ごめん続けて……! もっと続けて……柔道を続けてよ……!! 青本くんホント……………続けて!!!」
 鬼気迫るデカチンポ君に負けて僕は続けた。迷いながら続けた。図らずもいい練習になっていたから、続けた。
「青本くん、青本くん、あっ、あっ、柔道っ、柔道っ、イクッ、あっ、ああっ金田由紀!!」
 クラスで3番目にかわいいとされている、僕は嫌われている女子の名前が聞こえた。
「イ、イクーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー!!」
 同時に、僕の背中から何かがいとも簡単にすっぽ抜けた。それは当然デカチンポ君だった。
 だらしなく叩きつけられたそのまんまデカチンポ君は、その場でびくびく震えていた。
 息を切らせて見つめていると、デカチンポ君はみるみるしぼんでいく。
 ダダッ
 遠くの隅の方で、大粒の雨がトタン屋根をたたくようなすごい音がした。
 ジダジダジダッ ジダ ジダダダダダッ ダッ タタッ タタタタッ タ
 そこには白いものが降って、畳に弾けていた。
 イカくさい風圧で僕の濡れた髪はオールバックになり、そのまんまデカチンポ君は気怠そうにゴロリと一回転と半分、転がった。
 汚された柔道場で僕はまた一人、立ち尽くした。顔から血の気が瞬く間に引いていくのを感じ、畳や壁、柱や扉に格子窓が迫り、こうしたものだけが人生なのだという気がした。
 いつもこうだ、と僕は思った。にじみそうになる涙を押し殺した。
 僕がどんなに真面目にやろうと、どんなに真面目に頑張ろう、本気で頑張ろうと思っても、結局こうじゃないか。結局は一人でやるしかないんだ。どんなに良さそうなこと言ったって、本当に本当に本気で何かをやろうとしている人なんて、全然いないじゃないか。僕が実際に出会って言葉を交わした中で、そんな人が一人だっていたか。いないじゃないか。みんな中途半端で、みんな、憧れを憧れのままにして、目を離して、放っておいて、いつか忘れて、いつかどこかで何かに甘えてなびいてしまうじゃないか。他の人なんて全然関係ないんだ。あてにしちゃいけないんだ。どこまでも孤独で、どこまでも自分だ。そう考えなくては、僕はこの高校に殺される。そんなのはごめんだ。どこまでも孤独で、どこまでも自分だ。僕は僕を殺されないことだ。それだけだ。


フォローしてね!
最新記事
カテゴリ
月別アーカイブ
記事検索
リンク
QRコード
QR
問い合わせ

名前:
メール:
件名:
本文: