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10円でなめなめ

 駅前で革靴のすれた部分なめなめ業を営む森さんは、1回10円というお値段(激安)もさることながらその寡黙で真面目な仕事ぶりからみんなから大評判でありました。
 森さんにはただ一人の友達がいました。いつも肩に乗せているセキセイインコです。名前はわかりません。森さんが革靴をなめなめする時、そのまま肩に乗っていると落ちてしまうので背中にちょこちょこ移動する姿がこちらも大評判で、お客はその姿を見て、
「森、もっとなめろ」「一流企業の味がするだろう」「唾液が少ないな、年か?」「ついでに紐もしゃぶってもらおうか」「森もハゲたなあ」と言うのでした。
 セキセイインコもかしこいもので、お客のよく言う台詞は覚えてしまって、森さんが土下座の体勢で一生懸命なめなめしていると、背中の上で足踏みしながら、
「森、もっとなめろ」「その二つぶらさがってる飾りもまとめてしゃぶってもらおうか」「僕、これからピアノの発表会なんだ。うんとなめておくれ」とおしゃべりするのでした。
 森さんはほとんど無駄口をたたかず一心不乱になめなめするのがかなり好印象でしたが、時々苦いものがあるらしく一言「苦い」とつぶやきました。
 今年の大晦日も、森さんはいつものとおり、革靴のすれた部分なめなめ業をするため駅前に頭を下げて座り込んでいました。
 一年間ためたお金でお正月にカニを買って食べるのが森さんの楽しみでした。しかし今年は東日本大震災のこともあり、森さんにかけられる同情は募金箱に入ったり人々のお腹に飲み込まれてしまったようでした。森さんは震災の被害を知らなかったので、どうしてだろうと不思議に思っていたかもしれません。あの地震の時もいつもと変わらず、森さんは靴をなめていたものです。
 カニを買うにはお金が足りないものですから、森さんはいつにも増して深々と頭を下げていました。ダンボールの切れっぱしに書かれた「10円でなめなめ」の文字はもうかすれて見えませんでしたが、いつもより少し前に出していました。ところがそれは、8名ほどの学生の集団、そのリーダー的存在の学生に大げさなフォームで蹴っ飛ばされて、いかにも愉快そうな笑い声にまぎれてどこかにクルクル飛んで行ってしまいました。森さんは耳も悪いですし、お金が欲しい一心で一生懸命に頭を下げていて、ダンボールがどこかにいってしまったことに気づきませんでした。
 そのまま何時間も頭を下げていた森さんでしたが、年末の大晦日、駅前の人通りも少なく、誰もがみんな買い物袋を両手にさげて通り過ぎるばかり。 あたたかい家に帰る人ばかりでなかなかお客はつきません。
 先日、隣町の乞食とおそろいであることが発覚した森さんのズボンはずいぶん穴だらけです。上はお客様に施してもらったユニクロのヒートテックを着ているとはいえ、それ一枚では凍えてしまいます。
「しかもVネック」
 破れた軍手で作った服を着たセキセイインコも背中の上で力なくさえずりました。
 忍耐の人である森さんもこらえきれなくなったのでしょう、老体にムチを打って立ち上がり、震える足取りであたたかい缶コーヒーを買いに行きました。自販機の光に吸い寄せられるように横断歩道を渡っている時、飛び出してきた軽自動車に轢かれて死にました。
 騒然とする年末の街角では人々が、すぐそばの信号機にとまったセキセイインコが「カニを知ります」としきりにおしゃべりを繰り返すのを聞いたといいます。

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